恋(3)_かけて思ふ紀 貫之 かけて思ふ人もなけれど夕されば面影絶えぬ玉かづらかな かけて、とは心にかけて思うということ。つまり恋慕の心。この場合は、私がそのようにして想っている人、ではなくて、私のことをそのようにして想ってくれる人、ということ。夕されば、は、夕方になると。もちろん、世の恋人の相逢う時間です。面影絶えぬ、というのは、心のなかで消えず浮かびつづける有様。玉かずら、は、宝玉を糸に通した女の人の髪飾りです。髪に掛ける装身具だから、「掛け」の枕詞としても使われます。そこからさらに、「かげ」にも。この場合は、「かけて」「面影」「玉かずら」と縁で出てきたものでしょう。 心にかけて想ってくれるあの人は、今、ここにはいないけれど、夕暮れが近づけば心のなかに面影が絶えずつきまとう、ことにこの玉かずらを手に取ると。古今集の大歌人が、ひとり留守を守る女性の身になって詠んだ歌。技巧の細かさを感じさせない上の句のひろやかな言葉の選び方と、下の句の繊細な恋心の対比が美しい作品です。だれでも、いちどは経験するはずの切ない思いを、現実のなかから見出し、和歌のなかに結晶化させた、貫之の心のやさしさを感じさせますね。詩人の仕事は、こうした、小さくて、壊れやすくて、美しい気持に、永遠のすみかを与えることにあるのです。 ジャンル別一覧
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